不真面目でもいいじゃない

真面目に生きるのなんて馬鹿らしい

LINEで欠勤の連絡をするのは非常識か

LINEで仕事の連絡をする人は増えています

 新技術に対して拒絶反応を起こすのは大衆の特徴のひとつだと思う。しかし、社会ないし人間が成長する為には新しい事も受け入れなければいけない。

 LINEが登場し、今では若い世代を中心に多くの人に利用されている。もはや電話やメールではなくLINEを使って連絡している人ばかりだ。電話やメールというのは「旧技術」となってしまった。
そして「新技術」であるLINEは仕事の現場でも利用し始められている。遅刻・欠勤の連絡や業務連絡をLINEでおこなう光景も増えてきた。

 しかし、仕事に関する連絡を非常識だと憤慨する大衆もいる。面白いのは、そんな大衆も普段はLINEを利用してたり事だ。どちらも「連絡する」という行為においては一緒なのだが、普段の利用はオッケーなのに仕事になるとダメになるのは何故だろうか。是非その具体的な理由をお聞きしたい。

そもそも常識とは

 常識というのは国や地域・時代によって変化していく。昔は奴隷に労働させる事は常識であった。それが今では奴隷を使ってるなんて知れたら途端に叩かれる社会になっている(ちなみに日本の経営者で社員の事を「奴隷」だと言っている人は少なからず、いる)
集団によって常識も様々である。ある集団の中での常識が、一歩外を出ると非常識となる事も多い。かの大企業Googleは仕事の時にスーツを着ない部署も存在するが、仕事はスーツ着用が常識であると考える集団からするとGoogleは非常識な社員の集団となるのであろう。

 集団の中の常識は多数決によって決定される。例えば、外に出る時は服装のどこかにワンポイント青色のものを身につけなければいけない、と考えている人が集まれば、その集団の中では青色の何かを身に着ける事が常識となる。赤色のものを身に着けてその集団に入ったら途端に「お前は非常識だ」と叩かれるであろう。

 そもそも、本当に社会にとって害があるものであれば、それは常識ではなく法律というルールによって規制されてしまう。赤を見ると心臓発作を起こして死ぬ、という特徴を持った人間がいる社会では、赤色の物を身に着ける事は非常識だと叩かれるだけでは終わらずに法によって規制される流れになるであろう。

 ルールによって禁止されてはいないが、大衆にとって気分が悪いから俺たちのルールで規制してしまいたい、という時に常識は非常に便利な武器として利用される。気に入らない行為をしている人がいたら「それは非常識だ」と言い続けるだけで相手は自分の思い通りに動いてくれるのだ。

LINEで仕事の連絡をしないのは非常識な社会

 今では多くの若者がLINEで友人同士とやり取りをしている。ありていにいうなら、今は「連絡の際にLINEを使うのは常識でLINEを使わない人は非常識」な社会だ。そんな若者が数年後、社会に出たら今よりもますます仕事でLINEを利用する事が多くなっていくだろう。

 仕事の連絡をLINEでするのは非常識であると考えている人は、これから少数派になっていく。つまり、この人たち自身が非常識な人間となるのだ。
他人の常識にいちいち口出ししていた人が、ある日突然非常識な側になったとき、その人たちは自分を変える事が出来るだろうか。

 自分が間違っていた時、ちゃんと反省し自分を正しい方向に変えていくのは『人として常識』な行為なのだが。